「カステラ、カステラ♪」

「コーヒー、コーヒー♪」

キッチンに楽しそうな二人の声が響き渡る。

「……」

「……どうしたの?」

「祐一くん、疲れてるね」

俺がそんな二人を眺めて疲れた顔をしているのに気がついてか、二人は訝しげに俺の顔を覗き込んできていた。

っていうか、お前らのせいだ。

なんつーか、正直、部屋の片付けってヤツがあれほどの難しいとは思わなかったぞ。

もっとも、一人でやるよりは早く済んだとは思うが……。

精神的には倍は疲れた。

原因の二人、舞とあゆはそんなことは露知らず、

秋子さんの出してくれたカステラを美味しそうに頬張っていた。

「……ぅ」

急いで食べていた舞がカステラを喉に詰まらせる。

スポンジ状のものって言うのはなにかと飲み物無しでは食べられないものだ。

っていうか、子供か、キミは。

舞先輩の威厳が2下がった。

「あらあら、慌てなくてもカステラは逃げませんよ」

そんな様子を見てか、秋子さんは舞の空になっていたカップにコーヒーを注ぐ。

声が出せないのか、舞はそれに身振りだけで礼を言うと急いで自分を苦しめている酸素欠乏症を改善すべくコーヒーを口に当てる。

「〜〜〜〜!!」

熱かったらしい。

舞先輩の威厳がさらに1下がった。

「あらあら」

秋子さんは平然と楽しそうにしている。

「ふーふー」

あゆは舞の隣で自分のコーヒーを冷ましている、猫舌らしい。

「……もむもむ」

いつしか起きて来ていた名雪も俺の隣でカステラを頬張っていた。

「……いちごじゃむ、おいしいよ〜」

訂正

いつしか寝ながらカステラを食べに来ていた名雪が俺の隣で寝ながらカステラにイチゴジャムをつけて食べようとしていた。

「……起きろ」

「ひひふぉふゃふ、ふぉひひいふぉふぁふぁ?」

あゆは何言ってるんだかわからない、だがきっと下らんことだ。

「……」

舞はチアノーゼもおさまったのか気を取り直してカステラを再び食べ始めていた。

っていうか、お前ら食べ過ぎ。

俺は3人の女の子によりカステラが次々となくなる様を目の当たりにしていた。

ちなみに、秋子さんも食べはしたが、この状況に貢献したとは言いがたいので女の子3人である。

別に秋子さんが女の子じゃないからって言ってる訳じゃないんだぞ。

「あらあら」

……と、まぁ、俺の心を読んだような見事なタイミングで呟く秋子さん、

はっきり言って心臓に悪いです。

ともあれ、俺が食べたのは一切れだけ、

何しろ部屋の片付けで疲れていたので正直さっさと休みたいのだ。

しかし……。

思い出しても大変な片付けだった……。

 


でも、やっぱりまいがすき☆


 

「おお。ココが祐一くんの部屋なのね!!」

部屋の片付けのためにダンボールを持って来た俺と舞、そしてあゆの3人。

入るなり舞がダンボールを床に置いてあたりを見渡し握りこぶしを作って叫ぶ。

「こ、ここが祐一君の秘密の花園なんだねっ」

何かを間違えているあゆ。

とりあえず殴っておこう。

「……うぐぅ……」

あゆが非難の声を上げているうちに舞はというと、

すでに次の行動に移っていた。

「ふふふ、祐一くんの桃源郷探し〜」

などと呟きながらベッドの下を覗き見る。

「何やっとんだ!お前は!!」

「……いやいや、一見健全な男子高校生の実態を明らかにすべく調査しているのだよ」

俺の叫びに対し、舞は冷静にありもしない眼鏡を上げる仕草をしながらしれっと答える。

いったいそんなもん調査してどうすると言うのだ、この人は…。

「と、言うわけで、祐一くんのベッドの下には『えっちぃ本』バツ〜♪」

「何かメモってるしっ!!」

見れば舞は立ち上がりコートの内ポケットから出した空色の手帳に何かを書き込んでいた。

「舞さん、それなに?」

何か楽しそうなものを見つけたって表情をしながらあゆは舞によって行く。

「ふふふ、よくぞ訊いてくれました、ミス月宮」

そのミスはいろいろミスするから付けられていると言うのは暗黙の了解である。

「これは、あたし秘蔵のメモ、その名も『祐一メモ』!!」

どど〜ん。

自分で効果音を叫びながらあゆの面前に『祐一メモ』とやらを見せつける舞。

俺は、

本当にその手帳に『まいちゃんと祐一くんの秘密♪』とか書かれていたことも、

Vol3なんて右下についてたりしたことも、

あゆの「そ、それはいいものだよ!!」とかいう反応も、

いきなり人の部屋でエロ本探し出す女子高生の行動も、

(コイツ、昔と全然性格違うよ…)

という気持ちで一杯で、どれ一つツッコムことが出来なかった。

「っていうか、祐一くんの部屋、何にもないね」

俺がアッチへ逝っている間にも舞は普通に話を進める。

「そうだよね、本棚空だし、机の上も綺麗だよ」

「祐一くんって無機質マニアとか?」

「舞さん、それもメモしておかないと」

「はっ!そうだね」

「んな未確認情報をメモるなっ!!」

あゆはきっとまじめに言ってるんだろうな。

「だいたい、その何もない部屋をどうにかするためにダンボール運んだんだろうが」

「なるほど、今からこれで祐一くんの部屋を作るんだね!!」

「うぐぅ? 秘密基地?」

「部屋ん中に部屋作ってどうするっ!!」

「あたしと祐一くんの愛の巣にする」

俺の叫びに、はっきりきっぱり即答する舞。

いろいろ凄いぞ。

「ボクも混ぜてよ〜」

一人置いてきぼり気味のあゆは構って欲しそうに抗議。

っていうか混ざるなよ。

「ああ〜、ココが将来のあたしと祐一くんの愛の部屋になるのね」

うっとり、と両手を胸の前で組んで物思いに耽る舞。

「そうして……ふふふふ、うふうふふふふふふふふふふふふふ」

夢見る乙女のような表情だった舞がだんだん邪悪なものに変わって行くその様は何とも凄い光景だった。

「……う、うぐぅ、祐一君、ボクなんか舞さん怖いよ……」

「安心しろ、あゆ、俺もだ…」

部屋の真ん中で右手の甲を腰に当て、左手で顔を覆いながら高笑いする舞。

そして、部屋の入り口で怯える俺とあゆ。

『に、逃げようか、あゆ』(←目で会話)

『で、でも、ココで逃げるとカステラが…』(←目で直訴)

「ああ、でもとりあえず、片付けするんならコート脱いどかないとね」

突然何か憑き物が落ちたように素に返る舞。

「「……」」

もはやどうツッコムべきかもわからない俺とあゆ。

そんな二人を尻目に舞はコートを脱ごうと手をかけて……。

一瞬何かを考えたように動きが止まり……。

「ん、ちゃららららら〜」

自前BGM『オリーブの首飾り』付きでコートを脱ぎながら右足のつま先を軸に華麗な反時計回りターンをする。

なんと、回転が終わり再び同じ方向を向いた時には着ていた黒のレザーコートは俺のベッドの上にたたまれていた。

「す、凄いよ舞さんっ!!」

なにやら感動しているあゆ。

うわ、俺もちょっぴり感動しちゃった。

「ちゃちゃちゃっ」(←続いてた)

その後、あゆが舞の真似をしてみたくなり自前BGM『およげたいやきくん』を口ずさみながらダッフルコートを脱ごうとしたが、

「うぐっ!? リュック下ろすの忘れてたよ〜」

と言う事件があったのはまた別の話である。

っていうか、別の話にしておかないと俺が疲れる……。

で、二人のコートを脱いだ格好であるが、

あゆはセーターにキュロット、と、誰もがミニスカートだと思っていたその予想を大きく裏切る極悪っぷり。

しかし、生足なので許す。

我らが舞先輩は、

下は黒のジーンズ、上は白い服で上から黒のベスト着用。

今日の基本色は黒のようだ。

正直格好いい。

ま、2人のファッションショーはともかく、いいかげん片付けを進めないといつまでたってもこのままである。

「……というわけで、俺が残りのダンボールを部屋に運んでくるから二人は中身を出して綺麗に並べててくれ」

「それは祐一くんの部屋をあたし色に染めてって言うことなのね」

「たのんだぞ、あゆ」

「うんっ、まかせてよっ!」

「せ、先輩をないがしろにするのはよくないんだぞー!!」

などと、一悶着あったようななかったような感じで、俺はダンボールを一つづつ一階から運んでくる。

それほど数が多いわけではないので数回の往復ですべてのダンボールを部屋に運ぶことが出来た。

そうして、部屋の中の二人を見てみると、

もくもくと整理している姿が目に入った。

正直意外だ。

遊んでると思ってました。はい。

「……ふむ、祐一くんの服のサイズはこのくらいか……あたしよりちょっと大きい感じね」

舞は俺の服を持って真剣に見つめていた。

「舞さん、祐一君の服のサイズ調べてどうするの?」

舞の独り言に気づいてか、あゆは質問をぶつける。

「バレンタインデーに手編みのセーターとかを贈るとポイントアップだからよ」

当然じゃない、と言った仕草でさらっと言葉を返す舞。

「ま、舞さんセーター編めるの!?」

驚愕のあゆ。

「編めない」

しかし、無論。と言う言い方であっさり否定する舞。

コイツの思考はよくわからない。

「じゃあ、どうするのっ!?」

「手編みっぽいの買ってきてタグを取る」

「す、凄いよ舞さん、天才だよっ!!」

それは俗に反則と言う。

なんにしても、俺の前でこう言う会話。

嫌がらせなんでしょうか?

どこからツッコンでいいか解らないですよ、お二方。

つーかツッコム気力も失せます。

そんなこんなで一見ふざけていて片付けが進んでないようにも見えるが、結構舞は手際がいいらしく、ふざけながらもあゆに的確な指示を出し、片付けを進めていた。

ぴんぴろりん。

舞先輩の威厳が2上がった。

そして、まだまだ悶着ありながらも3人で何とか片付けを進めていった。

「ふぅ、やっと終ったわね」

結局家に帰ってきてから2時間後。

とりあえずダンボールの中身を取り出し、見た目問題なく片付けを終えたところで舞がつぶやく。

「思ったより早く終ったな、助かったよ二人とも」

「うんっ」

「気にしないでよ、あたしと祐一くんの仲じゃない」

少し重労働になったので滲んできた額の汗を拭きながら俺が2人に礼を言うと、2人とも嬉しそうに返事を返してくれた。

さて、片付けも終ったことだし、キッチンで一服するか、少なくともあゆはそれが目当てだし。

「じゃあ、2人とも……」

キッチンへ行こうか、と言おうとしたのだが……。

「じゃぁ、ココからこっちはあたしの陣地♪」

「あっ、ずるいよ舞さん、じゃあこっちはボクの陣地だからねっ」

俺の部屋で「己ゾーン」を作り出す2人。

「小学生か、おのれらっ!」

「うぐっ」

「あたしは違うわよ」

俺の叫びにことさら「は」を強調して返事する舞。

「……舞さん、それボクだけは小学生みたいな言い方だね」

「見た目はそうだろうが」

「……」(頷く)

「酷いよ祐一君っ、って舞さんも、そこで頷かないでよっ!」

「気のせいよ」(←棒読み)

「さ、キッチン行こうかあゆ」(←棒読み)

「うぐぅ〜!2人ともバカにしてるよっ!!」

なんと言うか、出会って…じゃない、再会して数日だと言うのにすっかりそれぞれの役どころが決定している感じだ。

あゆはからかいやすいんだよな、舞は、しっかりマイペースだけど…

「って、舞、何で俺の服を着てるんだ?」

ふと見てみると舞は当たり前のように俺のシャツを羽織っていた。

袖の長さが合わないのか先からは指しか出てない、その手を口元に持っていってるのは狙っているんだろうか。

「え、ハンガー足りなかったんで羽織ってみたらなかなかいい具合だったんで」

そこで普通着るかな。

なんにしても、俺より似合うってのがなんとも複雑である、それ結構高い服で気に入ってたんだが。

「……いいから脱げ」

「や、やだ、そんなストレートな、あゆちゃんも見てるのに……」

「違うわっ!!」

照れるようなしぐさで可愛い声を出す舞。

ちょっとだけ見とれたのは内緒だ。

そしてしばらくの言い合いの後キッチンへ行き現在に至るというわけだ。

まぁ、片付け自体で疲れたわけじゃないんだけどな。

そんなわけでキッチンでみんなでカステラを頬張っている。

俺も甘いものを食べたおかげで少しは癒されたのかだんだんとのんびりと状況を見つめていた。

気がつけば秋子さんの用意したカステラはすっかりなくなっていた、結構量があったと思ったんだが、女の子は不思議でいっぱいだ。

あ、今回は秋子さんも含んでるからな。

「うふふ」

……この人は本当に心が読めるんじゃないのか?

俺がえもいわれぬ恐怖にかられていると、舞とあゆは満足したのかのんびりくつろぎながら秋子さんと談笑。

ちなみに名雪はようやくはっきり目が覚めたらしく今更2人とご挨拶。

そういやこの3人昔会った事あるんだっけ。

「え、このカステラ秋子さんが作ったんですか!?」

「ええ」

「凄いよ秋子さん、このカステラすっごくおいしかったよっ」

「ありがとう、あゆちゃん」

ぼーっとしていたら話題は秋子さんを中心に進んでいる。

どうやら今のカステラは水瀬家自家製らしい。

そう言えば名雪の食べてたジャムも秋子さんの手作りだったな。

家事全般何でも来いって感じの人だよな、この人。

……ホントに名雪はこの人の娘なんだろうか……

いや、秋子さんを手伝って料理とか出来るのは知ってるんだが、なんか家事をするってイメージじゃないんだよな。

イメージじゃないってんなら、舞か。

なんとなくだけどあんまり料理とかに関心なさそうな雰囲気なんだよな、

まぁ、意外とこういうのに限って凄い料理が得意で要所でそれを明かしてポイントアップとかしそうだが。

あゆは……問題外だな。

いや、なんとなくだが。

……折角だから訊いてみるか。

「……で、2人は料理とか出来るのか?」

「うぐっ!?」

「え?」

「あ、いや、ふと思ったんだがな……」

「えっと……ボクは、やったことないからわかんないよ……」

あゆ、脱落。

「……い、一ヶ月時間をください……」

悔しそうに目をそらす舞。

実は〜、って言うイベントを期待したんだが、ダメだったか、2人とも。

「私には訊かないの?」

「いや、知ってるし」

この勝負名雪の一人勝ち。

「あ、そろそろボク帰らないと」

「あ、結構長居しちゃったね」

そしてしばらくの後、あゆと舞はコーヒーを飲み干した後壁にあった時計を見て席を立った。

「ああ、玄関まで送るよ」

「2人とも、また気軽に遊びに来てね」

「うんっ」

「はい」

と言うことでこの場は締めくくり、俺と名雪は2人を玄関まで見送った。

何時の間にか外は日が傾き、あたりの屋根や地面の雪がオレンジ色に染まっていた。

「今日は楽しかったよ、ね、あゆちゃん」

「うん、片付けも終わったし、カステラおいしかったし」

「また遊びに来てねっ」

「じゃあ、2人とも今日はありがとうな。気をつけて帰れよ」

「うん、また学校でね。2人とも」

「じゃあね、ばいばい祐一君、名雪さん」

「うん、舞先輩、あゆちゃんまたね〜」

挨拶を終え、2人は夕日の中に歩いて行き、だんだんと夕焼けの中に滲んで行った。

正直、疲れはしたが楽しかった。

まだ引っ越してきて数日、あの2人とも、今隣にいる名雪とも再会してほんの数日だと言うのに、いつしかそんな気はすっかりなくなりずっと一緒にいる仲間のような錯覚さえ覚えた。

いとこの名雪。

この街の古い友人の舞、そしてあゆ。

不思議と気が合うのはそれぞれの人懐っこい性格からなのか。

昔は、あの2人は人懐っこいと言う感じではなかったような気もする。

しかし、なんと言うか……。

「あの2人、凸凹コンビだな」

「祐一、失礼だよ」

……

その後片付けを終えた部屋で休日の残りをぐうたらすごし、今は夕食も終えて風呂から上がったところである。

自分の部屋に戻りくつろいでいる。

風呂を出たあとからついて来たマコトが俺の傍で寝ていたりもするが、とりあえずゆっくりとしているところだ。

今日一日のことを振り返ってみれば何だか舞にすっかり振り回されたような気がする。

あゆなんかしっかりとその被害者だろうな。

考えてみれば、舞は昔は大人しかったような記憶があった。

けれどそれは大人しかったのではなく単に人との付き合い方を知らなかっただけだったのはないだろうか。

事実、当時一緒に遊んだ麦畑では活発に動き回る女の子だった。

それに俺と出会ってからは街にも出るようになっていた。

つまるところ大人しいというイメージは、過去に辛いことがあった、孤独だった、というイメージから繋がった俺が勝手に持った舞の姿だったんだろう。

あの時、どこかとても寂しげな目をしていた少女は、今楽しそうに笑っていた。

俺は、今の彼女が本当の舞の姿なのだろうと思い。

そして、彼女がそうなれたことを嬉しく感じながらマコトと一緒に眠りについた。

……

『あさー、あさだよー、朝ごはんたべて……』

カチッ

まだ寝ぼけている感じの頭を抱えながら、俺は目覚ましに十分な仕事をさせないでベッドから這い出て、これが朝最初の仕事であるかのように遮光カーテンを開ける。

今日も天気はいいらしく、隣の家の屋根雪に反射した朝日が起きたばかりの目に痛い。

同時に傍で寝ていたマコトも起き出してくる。

いつまでもこのままでも仕方がないので、さっさと着替えを済ませて部屋を出る。

扉を開けたところで、それを待っていたのかマコトが飛び出して階段を駆け下りて行く。

まぁ、あいつにしてみれば勝手知ったる水瀬家と言った所か。

とりあえず、俺も目覚ましのオーケストラが聞こえてくる名雪の部屋に向かい部屋の主であるまどろみ女王が起きたのを確認してキッチンに向かった。

キッチンでは今朝も早くから起きていたのだろう秋子さんが朝食の準備を整えてくれていた。

そのうち名雪も着替えを済ませて現れ、朝食をみんなで取ることになった。

食後もゆっくりしている名雪を何とか急かして学校に向かったが、結局教室に入ったのはぎりぎりの時間になっていた。

「何故だ?」

「不思議」

教室での俺の問いにきょとんとした表情で答える名雪。

原因が自分だと思ってないのかこいつ。

「俺が急かしてこれなら、お前実は遅刻魔じゃないのか?いったい今までいくつ遅刻してるんだよ」

「それが、不思議なことに数えるほどしかないのよね、名雪の遅刻って」

俺の問いに答えたのは話を後ろで聞いていた香里からだった。

「そうなのか?」

「ええ、不思議なことに、いつもぎりぎり間に合うのよ」

「……そりゃ、すげぇな」

「名雪って足は速いからね」

「もしや、そのための陸上部か?」

「……もしかするとそうかもしれないわね、名雪だから」

「そうか、名雪の陸上生活は部活や大会が練習で毎朝が本番だったわけか」

「ふたりとも、もしかして酷いこと言ってる?」

「そんなことないわよ」

「ああ、そんなことないぞ」

「うー」

あ、名雪ご不満モードにはいってしまった。

このままでは不味い、余り機嫌を損ねるとご飯が紅しょうがになってしまう。

昔、機嫌を損ねて酷い夕食に……アレは辛かったなぁ……とりあえず話を逸らすか。

「ところで、かおりんはいつもどのくらいに来てるんだ?この間は俺たちとちょうど同じころになったけど」

取り繕うように、名雪の関心をよそに向けるように香里に話を振ってみる。

「あたしは、いつもはだいたい早い時間に来るわよ。そうね教室にまだ人いない時とか、いても数人程度の時ね、この間はたまたま遅れた日だったのよ」

「へぇ、そりゃまたずいぶん早起きなんだな……こんないとこが欲しかったな逆に起こしてもらえそうだし」

「えっ」

「うー」

思わずもらした本音に、どことなく嬉しそうに驚く香里と、不満そうな声をあげる名雪。

ってか、何故に嬉しそうなのだ、香里。

「ところで、かおりんは止めない、相沢君?」

「なんだ、さらっと流したから容認したのかと思ったのに」

「キャラじゃないわよ」

苦笑いをしながら香里は答える。

みんなから『かおりん』呼ばわりされる香里を想像してみる。

うん、確かに似合わないな、なんと言うかこう、香里ってキャラ的にはお姉さんキャラだな。

って、お姉さんと言えば、確か……。

「なあ、香里……」

ちょっと気になってたことがあったので香里を呼び止めたのだが、

「おい、もうHR始まるぞ」

との北川の声に促され教壇を見ると、いつ来たのか担任がHRをはじめようとしていた。

まぁ、聞く機会はいくらでもあるか。

そんなことを思いながら、ようやく届いたらしい俺の教科書を担任から受け取り授業の準備を行った。

そして、今日も学校が始まる。

淡々と進んでいく授業。

前の学校と進度が違うためついていくだけでも大変で、そちらに集中していたためにいつしかすっかり香里に聞きたいことなど頭から抜け出てしまっていた。

授業は進み気がつけば午前のお勤めはすべて終了していた。

ココでようやく気づく。

俺は昼食の存在をすっかり忘れていたのだ。

どうする、祐一。

困ってとりあえず名雪に助けを求めようと振り向くが、

「祐一っ」

もうすでに傍に寄ってきていた。

「祐一お昼はどうするの?」

「どうすりゃいいと思う?」

情けないとは思いつつも名雪の問いにこう答えるしかない俺。

名雪から聞き出した情報は、この学校では立派な食堂と、購買があるとか。

ほとんどの学生はそこで昼食をどうにかするらしい。

折角なのでその立派な、とわざわざ修飾して言われる食堂に興味を覚え行ってみることにした。

否、正確には連れてってもらうなのだが。

名雪を筆頭に、香里、そして北川まで一緒に来ることになっていた。

なお、北川は自称マスター・オブ・食堂らしい。

「ならばその称号、今月中に俺のものへと変えて見せよう!!」

「なにを! その挑戦受けて立つ!!」

などと言い争って香里に冷たくバカにされたのは別の話である。

ともあれ、そんなこんなで食堂である。

実際名雪の言ったとおりの立派な食堂。

正直、高校の学食にしては勿体無いくらい綺麗な食堂の上、広さもあり多くの学生が詰め掛けていた。

見ればメニューもそこそこ多く、そこいらの小さな食堂に行くよりはずっといいかもしれない。

値段も当然学生相手とあってそれなりの安さでご提供。

あとの問題は味だ、こればかりは食べてみないことにはなんとも言えない。まぁ、今から食べるわけだが。

俺があたりを見渡している間に名雪、香里、北川の三人はしっかり席を確保していてくれた。

流石に慣れている連中は違うと言うことか、マスター・オブ・食堂への道はなかなか険しそうだな。

結局、俺にはどれがいいメニューなのかわからないので適当に手頃なものを頼み4人で食事をとった。

途中、食事中の雑談として3人にこの学校の先生のことや噂など、学生をやる上での心得をご教授された。

「で、この水瀬の食べてるAランチは年中イチゴのデザートがついてることで有名なんだ」

「そうね、特に名雪はココに来ると必ずこれを頼むわね」

「え、そうだったっけ?」

「名雪、自覚なかったの?」

「でだ、相沢、このAランチ、そういういわく付きなものだから陸上部員の中では通称『水瀬ランチ』として親しまれてるんだそうだ」

「そ、そうなのか」

いとこのイチゴ狂伝説はもう学校でも有名だったのか。

普通に考えたら北川のネタなのだろうが、ココで香里が黙っていると言うことはどうやら本当の可能性がかなり高いと思われ、

なおかつ俺自身北川の説明に納得してしまったのでよしとしよう。

そして当の名雪は

「知らなかったよ〜」

と、素直で間の抜けた反応を見せた後、例の水瀬ランチのイチゴを嬉しそうにつまんでいた。

 

つづく


ひとこと

後ろはおまけ。

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