……

…………

光が眩しかった。

網膜に突き刺さりそうな明るい日差しが降り注いでいる。

目を閉じようとも、瞼を通して辿り着く陽の光はそのままでは目を開けてはいられないことを思い知らせてくれる。

光に耐え切れず、ゆっくりと右腕を動かして前腕で目から光を遮る。

網膜が楽になる感覚に包まれるがすぐに目を開けるのは少し辛く、また開けたとしてもまだ目に焼きついている陽の残像で周りを見るのは困難な状況だ。

それでもゆっくりと時間をかけて瞳を開く。

自分の腕が塞いだ視界。

陽の光を塞いだ腕から視線を外し、それでいてその腕の用途を崩すことなく辺りの景色を見渡す。

場所は河原、

積もった雪の向こう、ここからでは境目がわからない形で川の水の音が聞こえてくる。

(迂闊に歩くと川にはまるな)

雪の中の川。

テレビや写真でしか見られないような幻想的な景色を前にしても普段と変わらない自分の思考に苦笑する。

さくさく。

雪を踏みしめる音を立てながら少しばかり移動する。

雪は膝の少し下辺りまでが埋まっている、

埋まっているだけであって、膝の少し下あたりまで積もっていると言うことではないのだろう。

おそらくはこの自分が踏んでいる雪の下にも厚い雪が重なっているのだろう。

見えるわけでもないのにそう感じるのは、先ほどから聞こえる川のせせらぎが嫌に下の方から聞こえてくるからだ。

もしかすると自分の足元の雪の下も水が流れているのかもしれない。

重なり合った雪はとても重く、そして強いことは昔から何度かこの街に来ていた経験から認知している。

もちろん、それでいて、とても、儚いことも。

春になればこの景色も嘘のように消えてしまうことは必然。

さくさくと、誰も足を踏み入れてないであろう厚い新雪のを掻き分けて河原を歩く。

どれほど歩いたのか、いつしか陽は傾き、あたりは夕焼けに包まれていた。

「……」

言葉もなく、橙色に染まる雪原を眺めていた。

小さく風が吹くと、新雪の上、まだ粉状だった雪が纏わりつくように周りを舞う。

その舞う雪に夕日が孕み、

あたりをオレンジ色に染めていった。

くんっ。

ふと、袖を引っ張る感触が腕に伝わる。

何事かと思ってその方向に目をやると一匹の狐……と、ふわふわのかえる(?)が袖をくわえて一所懸命に引っ張っていた。

狐はともかくもう一つはあからさまに異様な事態だ。

しかし、それを不思議に思わない茜色に染まる小雪舞う不思議な空間に、あまり深くも考えることなく二匹の導きにより道なき道を歩く。

その二匹の必死な様子はまるで、このオレンジ色の世界から俺を連れ出そうとしているようだった。

「……さん」

そのうち誰かが名前を呼んでいるような声が聞こえて来た。

「……祐一さん?」

ああ、この声は……秋子さん。

「祐一さん、どうしたんですか?」

気がつくと目の前にたおやかな笑みで問いかける叔母の姿があった。

あたりを見渡せば、水瀬家の食卓、

そして、俺は、

……オレンジ色のジャムの塗られたパンをくわえていた。

「祐一さん? どうかしたんですか?」

急に固まった俺を不思議に思ったのだろう、秋子さんがちょっとだけ心配そうな表情で問いかけてきていた。

……いや、確かに急に固まる俺も不思議だとは思うが、

この秋子さんの出してきたオレンジ色の『甘くないジャム』とやらの方がよっぽど……、

……あれ?

俺、もしかしなくても意識旅立ってましたかっ!?

もしかして、アレは人が見てはいけない景色だったのですか?

っていうか、この秋子さんが出して来た、秋子さんのお気に入りだとか言う『甘くないジャム』……。

すまん、

俺には

コレを形容出来る語彙がない。

一言で言うなら

 

『なんじゃぁこりゃぁ』

 

だ。

くんくんっ。

……横を向くと上目遣いで俺の袖を引っ張るマコトの姿があった。

俺は無言でマコトの頭を撫でながら、途中まで食べた『甘くないジャム』を塗ったパンを皿に戻すと、

「すみません時間もないですしあまり食欲もないので残させて頂きますそれでは行って来ます」(←一息)

「……残念だわ」(←小声で)

俺は、

走って先に逃げた(←決定)名雪の元へ向かいながら、

今度機会があればけろぴーをアクロンで洗ってやろうと心に決めていたのだった。

 


でも、やっぱりまいがすき☆


 

「……名雪」

「……ゆ、祐一、おはようっ」(←声裏返ってる)

「……」

「ゆ、ゆう、いち?」

「……名雪」

「は、はいっ」(←声、再び裏返る)

「……アレはなんだ?」

「わ、わたしも知らないんだよっ」

朝、波乱万丈の朝食を終らせた俺が外へ出ると、先に避難していた名雪が、玄関先で待っててくれたのだろう、申し訳なさそうに立っていた。

で、説明するまでもないと思うが『アレ』とはオレンジ色の『甘くないジャム』だ。

経緯は普通の朝の食卓の会話から始まったことだが、

名雪が朝食のトーストにこれでもかというくらいにイチゴジャムをつけて食べていたのを俺が目に留めたことが発端だ。

その名雪の姿を見ていたら、名雪は不意に俺にもイチゴジャムを薦めてきたのだが、

俺はそれを『甘いものは苦手な方だから』と断った。

まぁ、コレは事実だ、

嫌いなわけではないのだが、あまり多くの量を腹に入れれば気持ち悪くなるだろう。

ましてや名雪の嫌ほどイチゴジャムを食べている姿を見た後だ、アレで甘いものに対して食欲が湧くヤツはよほどの甘党か恐れを知らない勇者だ。

すると横で俺たちの話を聞いていた秋子さんは、しばらく考えたような表情を見せた後、

『それでしたら』

席を立つとキッチンの奥へ行き戸棚から一つの瓶を出して来たのだ。

『じゃあ、祐一さん、コレは甘くないジャムなんですが、いかがですか?』

笑顔でそんなことを言いながら、俺たちの前に瓶、オレンジ色のジャムの入った瓶を置いた。

甘くないジャムなんてあるんだ、

などと珍しいものを見るように俺が瓶を覗き込むと名雪は突然立ち上がり、

『もう、わたし行かないとっ』

と、いつもなら遅れそうになってもイチゴジャムをコレでもかと言うくらいに塗りたくったトーストを食べているのに、慌てたように外へ出て行った。

……今考えると、何のことはない名雪はこの後起こる事態を知っていたわけで『逃げた』のだった。

その時、俺の視界に映ったのはこそこそと部屋の隅に後ずさりながら逃げていくマコトの姿だった。

そして、その後俺はあの黄昏色の魔神に悪夢を見せられた訳だが……。

「……名雪はアレ食べたことがあるんだな」

確認するように呟く。

名雪は思い出したくなかったのか少し眉を寄せて困ったような表情で肩を落として答える。

「うん……なんて言うか、不思議なジャム……だよね……」

精一杯言葉を選んだのがわかる涙ぐましい言葉だ。

2人で肩を落としながらアレについての考察を交え学校に向かう。

「っていうか、アレはジャムと分類してもいいのか?」

「でも、お母さんはジャムだって……」

「いったい何で作ったらあんな言葉であらわせられないようなものになるんだ?」

「お母さん、ジャム作り好きみたいで、昔からいろんなジャムを食べてるけど……アレだけは……」

「見た目は普通っぽいんだけどな」

もっとも、普通に見えたのも食べる前の話だ、

食べた後に見ればアレがどうにも禍々しい光を内に宿しているように見えてならない。

「でも、本当に恐ろしいのは、アレがお母さんのお気に入りのジャムだってことだよ」

「……そうなのか?」

「うん、お母さん、料理上手いし何でも出来るんだけど、アレだけは……わたしも納得出来ない……」

名雪の話によれば、秋子さんはことあるごとに機会を見計らってアレを人に食べさせようとしているらしい。

当然、マコトもその犠牲になってしばらく秋子さんに近寄らなくなったという過去まであるそうだ。

「……祐一は、アレ食べて大丈夫だった?」

「……綺麗な河原に辿り着けたような気がした」

「そう、なんだ……」

「名雪が食べたときはどうだった?」

「……お花畑が綺麗だったよ」

「……そ、そう、か」

2人で顔を見合わせて大げさに、やっている本人には大げさでもなんでもない気分で肩を落とした。

「あ、朝っぱらからなんて会話してるのよ」

突如後ろから声がかけられる、

その声に反応して2人で後ろを振り返れば目の前にはどことなく不機嫌そうな香里の姿があった。

ああ、そう言えば香里もこっちの方だったな、昨日もこのあたりまで一緒に帰ったっけ。

「あ、香里おはよう〜」

「ええ、おはよう、ってそうじゃなくて、今の会話のアレってアレのこと?」

名雪の間延びした挨拶に一瞬当たり前のように素に戻り挨拶を返した後香里は思い出したように話をアレに戻す。

「……もしかして、香里、お前もあの秋子さんの『甘くないジャム』を……」

「あ、あえてそれを言わないで、名雪とは付き合い長いけどアレのせいでなかなか家まで遊びに行けなくなったのよ……」

どうやらアレは友人知人にまで脅威を及ぼし、挙句トラウマまで植えつけているらしい。

見れば香里の顔は少しばかり青ざめている。

「……ちなみに、香里が初めてアレを食べたときは、どうだった?」

「……」(←香里)

「……」(←名雪)

「……」(←祐一)

「……」(←香里)

「……」(←名雪)

「……」(←祐一)

「……地球は、青くなかったわ……」(←香里:顔を逸らして影を落として)

「……オレンジ色だったんだろうね……」(←名雪:香里と同じ方向に顔を逸らして涙を隠して)

「……」(←祐一:涙がこぼれないように上を向いて)

魂が、大気圏を飛び出したのか……。

結局、香里も交えて3人で登校することになった。

誰も敢えてアレの話題に触れることはなかったが、3人の表情は最後まで晴れることはなかった。

特に俺は実際に口にして来たばかりだから、とてもじゃないが晴れやかにはなれない。

いや、本当に助けてもらったマコトと……。

「そうだ、名雪」

「何? 祐一」

「……けろぴーは確かに勇者だったぞ」

「?」

「助かった、感謝していると伝えておいてくれ」(←祐一:真剣)

「う、うん、なんだか解らないけど、了解だよっ」(←名雪:気圧されながらも見つめ返して)

「……相沢君も、大変だったのね」(←香里:何かを理解したらしい)

なんとも不思議な会話もあったが、気がつけばもう学校に着いていた。

時間を見れば予鈴の鳴る10分前、

要するに時間の15分前である。

「奇跡だ」

「まったくだねっ」

「お前が言うなっ」

俺の思わず出た呟きに納得する名雪。

お前のことだろうが、と軽くはたくが、抗議の声は違うところに違うところから飛び出してきた。

「はぁ……なんか、奇跡をそんな安っぽいものにしないでよね」

「名雪がこんな時間に学校に着くのは凄腕スナイパーを雇えるくらい高いと思うが?」

「……酷いよ、祐一」

俺たちの軽い漫才を聞きながら、呆れたようで、そして少し自嘲気味に香里は言葉を繋げた。

「相沢君、奇跡ってね、在り得ることではないようなことの上に、例えそれが在り得たところで簡単には起きないことだから奇跡なのよ」

噛み締めるように呟いた後、さっさと昇降口に向かう香里。

「……なんか、気に触ったのか?」

「うーん、香里もいろいろあるみたいだから」

どことなく不機嫌そうな香里の後姿を見ながら俺たちは小声で会話をし、結論も出なさそうな話なので大人しく香里について教室に向かった。

教室では案の定、名雪がこの時簡に現れたことについてちょっとしたざわめきが起きたが、しばらくすると担任が現れ皆を静めて今日も一日が始まった。

「……酷いよ、みんな……」

授業が始まる前に少し落ち込んだようにそんなことを呟いていた名雪も今ではすっかり睡魔と格闘中。

せめて心の中で応援してやろう。

「頑張れ名雪ー」

って、声に出してるよ、俺。

小声だけどさ。

「……流石だな、水瀬さんは」

俺の声を聞きつけてか後ろから北川が名雪を一瞥してのち声をかけて来た。

「一応訊いておくのだが、名雪は前からこんな感じなのか?」

「いや、いつもは割とどことなく微妙にちゃんとノートを取ってるんだが」

……割とどことなく微妙に、かよ。

かなりの不確定要素だな。

「しかし、今日の名雪は……もうすっかりまぶたが『おりたり』『さがったり』だな」

「相沢、それ要するにもう寝るってことか?」

そんなこんなで名雪は夢の中に入りそうな勢いだ。

じっと従姉妹を眺めてみたが、こうしてみると……いや前から気付いていたが名雪はかなり可愛い。

眠そうな為伏目がちになっているその名雪の目は長いまつげが目元に影を落としていて……口を少し開けて寝息に似た可愛い吐息を漏らしていた。

長い綺麗な髪を少し末広がりするようにセットしてある。

気にかけていなかったが名雪も女の子、やはり年頃ということもあるのだろう見た目の格好には気を入れているようだった。

こうして寝ている顔を見ればなかなかに絵になる姿である。

授業中ってのがアレだが。

そして、普段のボケボケ具合を見ているとやはり信じられないが、名雪は陸上部。

部長に選ばれるくらいだからそれなりの実力はあるだろうし、人望もきっとある。

昔からコイツを知ってるから解る、本人には決して言ったりはしないが名雪は実に人がいい。

いつも笑顔でのんびりしていて平和そうで幸せそうなヤツに見えるが、俺の記憶にあるときから名雪はあの家で秋子さんと二人暮しだった。

だからきっと、俺の知らないところで俺の知らない苦労を重ねているだろうと思う。

だけど、名雪は笑顔で、いつも悩みもなさそうに、何も考えていなさそうな顔で人のことを考えている。

いや、考えているは適当ではないかもしれない、

秋子さんの娘だから、とでも言うのか、

おそらくはとても自然に、自分では気がついていないかもしれないレベルで、人の様子を見ていて、そして面倒を見ている。

それからすれば部長も適任と言えるだろう。

香里のことにしたってそうだ、

俺と舞が香里のことで話をしていたときも、

『香里は何か悩み事が』という話題だと言うのに名雪は話に積極的に参加してきてはいたが驚いてはいなかった。

香里の様子からおそらくは以前からそれなりに、意識していなかったかもしれないが何かしらあるということに気付いていたのかもしれない。

『うん。香里って家のこととかあんまり話したがらないから』

とは以前の名雪の台詞。

友達との会話なら家の話も出るだろう、ましてや香里となら当然、そして香里は家のことを話したがらないにしても上手くかわすと思う。

そんな香里を見て名雪は深入りするのは失礼だとでも思ったのだろう、敢えて触れないようにしていたのかもしれない。

けど、人のいい名雪のことだ、多分、いや間違いなく心のどこかで気にしていたんだろう、

だからこその舞の提案に積極的に参加、なのだろう、実際に俺たちにどうこう出来る問題うんぬんよりも香里のために何か出来るということを優先させたいという気持ちの表れだと思う。

まぁ、舞の勢いに後押しされた部分は多すぎるくらいに多いだろうが。

それを置いておいても、じっくり考えれば名雪は凄くいいヤツだ。

見た目もコレだし、コイツ実はもてるんじゃないのか?

よく考えれば、俺はこの同い年の可愛い女の子と一つ屋根の下で暮らしているわけで、

しかも名雪の不用意な発言(←名雪のこの辺はかなり抜けていると思われる)の為クラスの連中もそのことを知っている。

となれば多分、疑うべきもないだろう陸上部でも言いふらしているに違いないので割と知っている人は多いのかも知れない。

……もしかすると、俺ってば少々の男子に敵視されてたりして……。

か、香里とも仲いいもんな……俺。

香里も、なんだかもてそうだし……。(←なんだか周りの自分に対する視線が痛くなって来たような気になって来る)

とりあえず、北川に恨まれてないといいかな……。(←かなり弱気になって来ている)

そして、少し引きつりながら俺は名雪の方に再び目をやるが、

「ね……ねぎ……それは、でんせつのっ……おねぎっ……」(←小声)

何故か眉間に皺を寄せ苦悶の表情で呟く名雪の謎の寝言が耳に入って来ていた。

思わず、なりふり構わず斜め後ろの方に勢いよく顔を振り向かせて香里に問うが、

「……」(←香里:頷く)

「……」(←祐一:なんだかよくわからないが頷き返す)

と、さっぱり解らない意思の疎通で解決させられてしまった。

なんだかとても、

不思議なものを見るような怪訝な表情をした複雑そうな北川が印象的な午前中の出来事であった。

「そ、そのネギは……ダメだよかおりっ、そのネギはきけんなんだよっ……」(←名雪:小刻みに震えながら)

「どうやら危機的状況らしいぞ香里」(←祐一:小声で)

「……どんなネギなのよ」(←香里:ため息)

「ゆ、ゆういちのかたきを……とらなきゃいけないんだよ……かおり、とめないで……」(←名雪:泣きそう)

「……」(←祐一)

「相沢君、あなたは危機的状況をとっくに過ぎていたようね」(←香里:冷めた目で)

「こ、このネギがあれば……このネギがあれば……わたしは……はっ」(←名雪:起きたらしい)

「……」(←祐一)

「……」(←香里)

「……」(←名雪)

「……」(←祐一)

「……」(←香里)

「……わ、わたし寝てた?」(←名雪)

「「……」」(←祐一&香里:頷く)

「……え、えっと」(←名雪:北川の方を向く)

「……」(←北川)

「……」(←名雪)

「……凄く、続きが気になる引き方だったよ、水瀬さん」(←北川)

「え? え?」(←名雪)

「……同感だな、北川」(←祐一)

「でも、相沢君はもう退場してるわよ」(←香里)

「いや、それでも俺は名雪の中に生き続けているはずさ」(←祐一)

「オレは『でんせつのおねぎ』が気になってしょうがないが」(←北川)

「あたしもよ、北川君」(←香里)

「え? え?」

そんな、平和な授業中。

窓から空を見れば雪国の空とは思えないほど晴れ渡っていた。

ああ、さっきの名雪を誉めたの、撤回しようかな……。

そんな俺の心の中もこの大空のように澄み渡っていた。

『それは現実逃避っていうんだよっ☆』

どこからともなくそんな舞のツッコミが飛んできたような気がした今日この頃、結局名雪のことを考えていたのと、名雪の謎の寝言のせいで、

すっかり授業の内容を聞いていなかったまま午前中の授業の終了のチャイムが鳴った。

 

つづく


ひとこと

ねぎ、大好きなんですよ。

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